代表 近藤太(こんどう たい)インタビュー

目次

  1. つい先日、セミナーがありました!
  2. KGKデンチャーについて
  3. 近藤太ヒストリー
  4. 「入れ歯相談会」誕生秘話
  5. どうして社名が「技工所」じゃなくて「研究所」?
  6. 釣りとバイクが大好きです
  7. 歯科医院さんにメッセージ

「KGKデンチャー」(主に技術面)についてはこちら
「近藤義歯研究所ヒストリー」(入れ歯道)についてはこちら

つい先日、セミナーがありました!

先日の「フルバランス咬合調整セミナー」で、先生方が食いつくように代表の技術を見ているのが印象的でした。
技工士さん曰く「技術的なことだけでなく、経営的なことも話す」とのこと、1度で2度おいしいセミナーと思いました。

これは実習の時ですね。
自分はやっている側なので、こういう風に見えていたのかと勉強になります。(笑)

KGKデンチャーについて

KGKデンチャーの説明を、サクッと説明おねがいいたします!!

「アゴの噛み合わせがずれた人をまっすぐに戻して、しっかり噛ませて、おおよそ20回の咀嚼で嚥下(えんげ:飲み込む)することが出来る入れ歯」です。
噛む回数まで考えて作っている、世界基準の中で一番厳しい入れ歯です。(笑)

そのプロセスは下記ページご覧ください。
入れ歯道~「KGKデンチャー」ができるまで

近藤太ヒストリー

  1. 25歳で独立
  2. 入れ歯は人工臓器
  3. 人工歯メーカーの社長の入れ歯づくり
  4. スタディグループを作ったものの・・・

1. 25歳で独立

今年(2024年)で創業25周年とのこと、おめでとうございます!

ありがとうございます、1999年1月1日に開業しました。
実は1995年に独立したのでそれ入れると30年になりますが、「近藤義歯研究所」という看板を掲げて25周年です。
25歳で独立したことがいいか悪いかと言われたら、今思えばあまりよくなかった。

そ、そうなのですか??

経験としてはワクワクしたけど、いろんな意味で進歩がない・・・。
1人でやると、情報が孤立化します・・・多くの情報が入ってこないし、人との関わりも少ないから、自分のわがままな方向に行きがちです。

試行錯誤のプロセス、知りたいです。

自費の入れ歯の相場は、1つで25~30万円です。
ビジネスだから当たり前のことなのですが、お客様(歯科医院)の利を得る・・・つまり「BtoC」(Business to Consumer:企業が消費者に行うビジネス)じゃなくて、「BtoB」(Business to Business:企業間取引)だということに気づくのに時間が掛かりました。
いい技術を持っているだけでなく、「どうやったら売れるのか」を考えないといけない。
技術が高ければ、歯医者さんの評判がよくなるので、患者さんが紹介・リピーターになるのでどんどん儲かるり利益も増える・・・更に義歯もにドンドン良くなります。

その「当たり前」に気づくのに時間が掛かりました。

2. 入れ歯は人工臓器

一般の人は入れ歯をどこで作るか知らなくて、「工場で作っている」と思っている方もいます。

工場といっても、もっと緻密なことをやっています。
「入れ歯は人工臓器」という言葉に、ビビッときたんですね。
あるセミナーで先生が「入れ歯は人工臓器だ」と教えてくれて、「あ! 人工臓器か、これはいいな」と・・・臓器は心臓と同じで、なくてはならないですから。
「歯」という臓器がない人に、「人工臓器」である「入れ歯」を提供するのです。
歯医者に来た入れ歯患者の99%が「普通に食べたい」・・・この言葉を聞き取られていない。

毎日食事のたびに3回困っているって、大変な困りようですよね。

歯科医院の診療は、入れ歯だけではなく、虫歯、インプラント、矯正、など多岐にわたります。
「普通に食べたい」という心の声を歯科医師は聞く時間がない、「これは何とかしなきゃ。そうだ!歯科技工士として歯医者に行けばそういう声を聞ける立場になれる!」と考えました。
2005~6年ごろ、ある先生から「これからはインプラントの時代だよ、近藤さん。これから義歯はなくなるからインプラントの事をやった方がいいんじゃないの?」と言われたのです。
その時、僕は患者さんの心の声を聞いていて、「人工臓器を作りたい」という思いも強かったのです。
インプラントはお金の面に関しては魅力的でしたよ、でもその方向に行くよりも「入れ歯スイッチ」が入った僕は一生懸命やり続けた・・・その方が自分に向いていました。

想像がつきます。(笑)

その時、知識・技術があっても「サービス」が悪くては売れないことに気づけたんです。
普通の技工士は知識技術があります、あとはサービスの良さ、だと。
サービスの言葉の定義は難しいですが、「提供されるものが、受け入れやすい環境づくり」ですね。
技工所のお客さんは歯医者さんだけなので、どうオーダーをもらおうかと「当時」は思っていました。

「今」は違うってことですね?

今は違います。
当時はサービスの質が低い、つまり下請け意識の「待ち」の状態だったんです。
それでは仕事が伸びない・・・売上も上げたい、自分と社員の収入も増やしたい、会社も大きくしたい、と思っていました。
そうすると周りにそういう人が少しずつ集まってきて、技術知識を持っている人、サービスの特徴を持っている技工所の人とお話をする機会が増えた。

そんなことをやっている間に、人工歯メーカートップの社長の入れ歯を作ることになって・・・。

3. 人工歯メーカーの社長の入れ歯づくり

人工歯メーカー?

山八歯材工業(やまはちしざいこうぎょう)という、
日本人工歯製造トップメーカーの愛知県にある会社です。
世界シェアで2番手です。(世界シェアNo1は、アメリカのデンツプライ)

人工歯メーカーの社長(故.遠山公男社長)の入れ歯を作ったのは、どういう経緯で?

遠山社長との間をつないでくれた故.津行社長(当社元顧問)人と知り合って「近藤さんは、入れ歯作るの上手いよ。遠山社長、作ってもらったらどうだい?」と社長に推薦していただいたのです。
紹介のきっかけは「咬合器」です。

その頃、自分で使いやすい咬合器の試作品を作っていたのです。
それを見た津行社長が「これ、おもしろい。この機械、山八歯材工業の社長に市販化の話をしないか?」という話をしてくださって、チャンスが飛び込んできました。
「出来るならぜひ!」「お前、山八知ってるだろう、社長に会わせてやるよ」と名古屋に行って会い、咬合器を認めてくれて、試作から市販化に向けていくことになりました。
その頃は毎日、夜中1時2時まで仕事をしていましたから、平日のど真ん中に時間を空けていくのはどれだけ大変だったか。
それまで社会人になってから、新幹線に一度も乗ったことなかった・・・そのくらいラボの中で10何年もずっと仕事をしていました。
その時、遠山社長と紹介してくれた津行社長と3人で食事をしたのですが、社長が中国に行く話をしていて、僕が「中国に行きたいです!」と直談判して、中国に講師として一緒に行かせてもらいました。
中国の宿泊先で、遠山社長の部屋に行ってベッドに座りながら会社の歴史の話をしてくれて、僕も楽しく聞いて・・・気に入ってもらえたんでしょうね。

どんな話だったのですか?

昭和33年に、上野から夜行列車に乗って・・・僕43年生まれですからね、風呂敷に人工歯を入れて担いで愛知県から青森秋田の方までぐるっと一周したそうです。

「入れ歯の行商」ですね!

上野に行き、そこから東北行きの電車に乗って朝に着いて、運賃がなくなったそうです。(笑)
当時、現金商売です。
この人工歯を全部売れば、お金になる。
当時はメールもないですから、おそらく葉書を送った歯医者を一軒一軒訪ねて、人工歯を売って帰ってきたのでしょう。
「帰りにはこんなに現金が手に入るんだよ、近藤さん。僕は昭和33年から人工歯を自分で作って、自分で売ったんだ。」「すごいですね~」と。
車だってまだまともにない頃の話です。
その話をしていた時は、遠山社長が入れ歯だというと事に気づいていながらも、入れ歯を作るオファーが来るとは思わず。
詳しくはこちら

ある日、横浜のパシフィコで大々的に山八歯材のセミナーが行われました。
その講師として講演を行った技工士が3人いて「一番話が分かりやすいのはあなたです。うちの海外の講師になってくれ。近藤さんは一番若いけど、あなたみたいな人に会社の講師をやってもらいたい。海外の方が、日本よりマーケットは大きい。」と。
そして、海外講師になって中国の上海と北京、トルコやタイにも行きました。
行きませんでしたがロシア、フィリピンなど沢山のディーラーから声が掛かりました!

会社概要の略歴に書いてある、海外の講師経緯の実態がやっと分かりました!

会社の講師になったのは2007年~2010年のたった4年の間で、講演をやりましたね。

そこで人の前で話す、教えるスキルがあがったのですね!

4. スタディグループを作ったものの・・・

その前にスタディグループを組んでいて・・・その頃やっとe-mailが普及、どんどん紹介してもらい、みんなが話せる「情報交換会」という仕組みを作りました。
現在(2024/3)の技工所の2階会議室に、九州など日本各地から人が集まりました。

「○○さんの話、凄いですね」とディスカッションして、毎回楽しい夜を過ごして朝まで寝ないで語るわけですよ。(すごく嬉しそうに話す)

「朝まで生入れ歯トーク」ですね。

それを土曜日の午後からやって、夜は懇親会、次の朝は演者が発表するという仕組みでした。
100名以上の登録があり、データを持っている人はここに落とす、その代わり他の人のデータも貰える情報交換会の場でした。
他のセミナーに出たけどみんなクローズで・・・配られた紙もコピー禁止、閉ざされていては技術が上がらないので、オープンなスタディグループをやりたかったのです。
すると、一気にいろいろなグループが来て、情報がいっぱい入って、技術が高くなり質も上がってきました。

ネットワークを作り、情報を集め、知識・技術が上がる。伴い、売り上げも上がる。

入社希望も増え、海外で講演したら、有頂天になりますよね。
その時(2010年ごろ)、足元見たら全然、事が出来ていない。

何が起きていたんですか?

自分の目線が外ばっかり見ていたら、会社がぐちゃぐちゃになっていました。
会社にルールもなくて、やりたい放題。
人は集まったけど、それぞれがそれぞれの事をやっていて・・・というような会社ですね。
2011年に、社員を交通事故で亡くした経験があるんです。
自分は調子に乗って何をやっているんだろう、自分の存在意義を疑問に感じて・・・毎日おやじの墓に通い手を合わせることぐらいしかできなくて、ただ生きているだけみたいな時期がありました。
亡くなった写真はたった3か月しか一緒に働いていないけど、亡骸の前で彼のお父さんに言われたのが「1人でも多くの患者を救ってください」と。
それは僕の言葉なんですよ・・・その彼は3か月しかうちで働いてないのに、その言葉が彼に伝わり、彼がお父さんにそれを伝えていた、と。

泣けてきますね。

それを思うと、僕はそこにしか生きられない・・・東北歯科技工専門学校の八巻先生に、泣いてそんな話をしたこともあります。
僕の中ではそこで変な欲が打ち切られた、リセットできた、本当に足元を見なきゃいけないと思いました。
世の中に出て、もてはやされて、勘違いした行動をした・・・やっぱり「患者さん」に焦点を当てることを選択し、集中しました。
そうやって僕の人生はいつもリセットされるんですよ。
実は、波乱万丈なんです。

⇒この続きは、「KGKデンチャー道程」で

入れ歯相談会誕生秘話

入れ歯相談会を医院さんで行っているそうですが、思い出深い「入れ歯相談会」エピソードは?

清水部長が入社する前の15年程前にひまわり歯科さんでやった、一番はじめの相談会ですね。
患者さん向けに「入れ歯セミナー」をやって、その後「入れ歯相談会」をする予定でしたが、患者さんは入ってきた瞬間に相談を始めるのです。

本当に困っている人ばっかりなのですね。

そんな人が20人も集まる、こっちはスタッフ3人と院長と僕ですよ。
セミナーを始めようにも、来た瞬間に相談されるので、セミナーがスタートできない。
セミナーを始めても、次から次へと患者さんが来るので都度中断、会場の案内人も受付もない・・・結果、1人としか話せませんでした。
「その人に寄り添う」ということは「その人の話を聞いてあげること」と分かり、「個別相談」をやっていた時期もありました。

入れ歯の個別相談?

当時、歯科医院に行って僕が患者さん1人の相談を受けていたのです。
患者さんも親身になってもらえるから、ほぼほぼ契約につながっていました。
忙しくなってきた時期から、今の形に近い「入れ歯相談会」にアップデートしました。
相談を受ける以上責任があるので、成約に結び付け、医院の経営に貢献する。
入れ歯相談会も、清水部長の入社以前に「負の歴史」があったのです。(笑)

失敗して失敗して、アップデートしてきたのですね。

人生と一緒ですよ。(笑)
僕はそんな経験があるので「PDCA(Plan:計画、Do:実行、Check:評価、Action:改善)」をして、すぐに改善、ダメだと分かった瞬間に次はやらない。
失敗の数が多いので、すぐにダメだと判断できるのかもしれませんね。

どうして社名が「技工所」じゃなくて「研究所」?

どうして社名が「技工所」でなく「研究所」なのですか?

歯科技工所の事を「ラボ」とよくいいますが、「ラボラトリー」は「研究所」です。
研究所の方が、職人っぽいじゃないですか。
職人っぽくしたくて、以前のロゴは筆文字だったんです。
(下記写真は2024/3現在の社屋入口)

実は、ある時期からフォント(文字の形)を丸くして・・・自分自身が尖りまくっていたので(笑)、丸くしたんです。

そうだったのですね。それと、ラボ内の壁に貼っている「シンメトリーは美しい」、気になります。

歯の排列って難しいのですよ。
人間の各パーツは、おおよそ左右対称ですよね。
シンメトリー、つまり「左右対称」に気付くには、目を養わないといけないんです。
見るのは歯だけでない、口の中を毎日見ていても「筋肉」や「歯の形」「ベロ」を見て左右対称だとか、そういうことをちゃんと見て確認してやんなさい、というメッセージです。
シンメトリ―実現のため、「コンプシステム」を作りました。

シンメトリーの極意、やっと理解出来ました~!スッキリました。(笑)

釣りとバイクが大好きです

どんな子供時代でした?

遊ぶことがとにかく好きな子供でしたね。
昆虫が好きで、セミを見つけたり、カエルを取ったりしていました。
小学校2年の夏休みに、おふくろの実家の浜名湖に行って・・・浜名湖はクマゼミがすごく鳴くのです。
その時、親父につかまって「勉強しろ」と正座させられて、そこからは完全に勉強キライになって(笑)今でもその場面をはっきり覚えています。

トラウマですね。(汗)

「勉強やれ」って言われてやるのが嫌なのですよ。
歯科の勉強は「やれ」と言われないから、できたのですよ。(笑)
そんな訳で、中学まで勉強はしなかったのですが、高2の時にすごく勉強したのです。
「勉強が好き」なんじゃなくて、「勉強をして認められいる自分が好き」だったのです。(笑)
先生は、質問したら答えてくれると気づき、「出来ない近藤君」は成績がオール2でしたが、英語が5になった。
何で良くなったかというと「先生の話をちゃんと聞いて、目を見て質問する」それで5を取れるんですよ。
1年生で成績が2だった子が、2年生で5を取って、3年は特待クラスに入っちゃった。
技工は手を動かすから、好きなんです。
技工学校に入ってからの実習は学校で一番早くて、入学して3か月で2年の教室で授業をうけることになり、そこでも特待生になりました。

なるほど!休みの日にしていること、マイブームを教えてください。

釣り、バイクですね。
オートバイも自動車整備学校には行ってないけど、自分で直したり作り上げたりしています。
それと、意外と朝起きた瞬間から、仕事の事をやっています。(笑)

釣りのキャリアは?バイクはいつごろから好きだったのですか?

釣りのキャリアは、10数年です。
小学校の時は「釣りキチ三平」を見ていました。
ハマるキッカケは、飲み屋でたまたま釣り好きの人に会って、連れてってもらって、いつの間にかハマり・・・幼なじみも一緒にはまっています。(笑)

バイクは、18歳で免許を取ってからずっと好きです。
「ゴリラ」というバイクに乗っていたので、技工学校の時のあだ名は「ゴリさん」でした、単純。(笑)

胸板が厚いなと思っているのですが。

中学高校と、水泳部でバタフライの選手をやっていました!

歯科医院さんにメッセージ

お取引をどうしようか考えている歯科医院さんにメッセージ、お願いします!

「入れ歯が苦手」という先生が多いのですが、入れ歯は「知らない」から苦手なだけで、「入れ歯を知っている人にサポート」されたら、実はそんなに難しくないです。
KGKデンチャーは、材料も決まってルールのある「システム化」されたものなので、すごくやりやすい。

冒頭にもお話しした先生向けのセミナーも、おかげさまで好評です。
他のセミナーと違うところは、セミナーが終わった後にも「サポート」が入ることです。
うちはビジネスでやっているので、症例が出るたびにサポートし、技工士と一緒に話しながら完結を迎えられる。
その成功率は、90%を大きく超えています。
入れ歯でお困りの先生を、考えられないようなきらびやかな世界にお連れしますので、ぜひご連絡ください!

インタビュー:2024/3/26

取材後記

自分の失敗を惜しげもなく伝えてくれ、知らず知らずのうちに話に引き込まれました。
また、人工歯メーカーの社長の入れ歯を作るのに実は、他のメーカーの人工歯を使っていたという話が「KGKデンチャーへの道程」の中にありますので、こちらもぜひご覧ください。(面白いです)